御正体山タイトル百名山 2106m 登山日:2010年8月9-11日

「最高クラスの山行きであるが最も美味しい部分は逃してしまった..」

今年の夏山は、ハイカー憧れの山、飯豊山に入ることにした。この山は山容が大きく、何処からアプローチしてもメインの稜線に辿りつくのに相応の時間を要する。しかも人気の山だけに、小屋はダダ混みと聞く。
苦慮の末、テント泊を企画した。当然、体力のないなまけものハイカー夫婦では、一日の移動距離は短くなる。行きたい場所を目をつぶって削らざるをえない。結果、二泊三日、川入から飯豊本山ピストンのコースとなった。
企画当初から薄々感じていたことだが飯豊連峰を訪れるにあたって最も美味しい部分を削ってしまったようだった。
切合小屋のキャンプ場から見た夜明けの大日ヶ岳
切合小屋のキャンプ場から見た夜明けの大日ヶ岳
もうすぐ山頂本山への道
姥権現とその先に見える御秘所と飯豊本山 御秘所御秘所(復路)
イイデリンドウ
遠くに見える磐梯山
大日ヶ岳から飯豊本山までタカネマツムシソウ
尾瀬ヶ原と燧ヶ岳 切合避難小屋裏のテント場切合小屋から見たご来光 切合小屋雲に霞む飯豊本山
シラネアオイ剣ヶ峰と三国小屋
センジュガンピ 写真だと剣ヶ峰の迫力が見難いのが残念 切合まででの唯一の水場
中十五里切り通し
川入キャンプ場の駐車場
行程
一日目
川入キャンプ場 6:00
横峰小屋跡 9:30
剣ヶ峰の下着 11:00
剣ヶ峰の下発 11:40
三国岳 12:50
切合小屋着 15:20
二日目
切合小屋発 6:40
姥権現 7:50
飯豊本山着 10:25
飯豊本山発 11:25
姥権現 12:05
切合小屋着 13:10

三日目
切合小屋発 6:25
三国岳 8:15
横峰小屋跡 10:40
川入キャンプ場 13:15

難易度 ★★★★
行程時間(含む休憩) 一日目:9時間20分
二日目:6時間30分
三日目:6時間50分
駐車スペース 川入キャンプ場100台規模
トイレ 各避難小屋にあり。
登山口 わかりやすい
帰りの温泉 飯豊の湯
お勧め度 ★★★★
☆☆所感☆☆
・飯豊山のもっとも美しいところは飯豊本山から御西岳までの緩やかな稜線とお花畑のようだ。計画で始めからここを外すのは愚かだった。また、そこまで足を踏み入れるチャンスは充分にあったのに諸般の事情で逃してしまった。
・地図を途中で失くしてしまった。言語道断な話。

   川入キャンプ場の駐車場

前日、川入の南7kmにある「飯豊の湯」に泊まる。日帰り温泉施設で宿泊を出来るようにした施設。夕食は値段の割りに地元らしい工夫を凝らしてあり悪くなかった。
翌日は朝食と昼食用のオニギリを作ってもらい、早朝5:30に宿を出る。
川入キャンプ場までは車で15分くらい。キャンプ場には楽に100台は停まれそうな大型の駐車場がある。
綺麗なトイレで用を足し、6:00に出発。

   中十五里

最初の10分は川沿いの林道。その後、急登になる。この山は信仰の山。昔から多くの人がこの道を登った。ためか、道は整備されており、5-600mおきに結構な広場が設けられており、それぞれの広場には名前が付けられている
最初から下十五里、中十五里、上十五里、笹平、横峰小屋跡...。
よくできたもので、休みたいなあ、と思う頃にこの広場に出くわす。

   切合まででの唯一の水場

横峰小屋跡で急登は終わり。緩やかな尾根歩きになる。地蔵山を巻いた道の途中に、水場がある。ここは切合小屋までで登山道に面した唯一の水場。とても冷たいので思いっきり味わって欲しい。
地蔵山を巻き終わると再び緩やかな尾根道。水場から30分強で剣ヶ峰の麓に辿りつく。

  写真だと剣ヶ峰の迫力が見難いのが残念

ここから三国小屋までが今回の最大の難所だった。標高差100mの痩せ尾根の岩峰。鎖場が2箇所。
上から降りてきた人に「去年はここで2人滑落したそうです。」と脅された。「何だ。ひと夏でたった二人か。集中力さえ切らさなければ大丈夫だ!」。
なまけものハイカーはえらく前向きだった。

  剣ヶ峰と三国小屋

三国小屋からはアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を稼ぐ道になる。後ろに三国小屋とさっき苦労した剣ヶ峰が見える。
そして標高1791mの種蒔山が一日目の最高峰だった。突然緩やかな下り坂となる。直ぐ先に切合の避難小屋が見えてきた。植生が変わり、高山植物の山となっていた。
シラネアオイをみつける。雪解け直後に見られる花だ。さすがにこの時期に見られるのは珍しい。夏まで普通に雪が残る大豪雪地帯ならではの光景かも。

   切合避難小屋裏のテント場

切合小屋(「きりあわせ」と読む)についたのは、15:20。今日はここでテント。テント場は10-20張り可能なスペースがあった。
実は一日目の登りで地図を落としてしまっていた。二日目以降、思い切った行動はとれなくなってしまった。
地図がないため、とんでもない勘違いもしてしまった。キャンプ場から西に形の良い山が見えた。(一番上の写真)あれが明日登る飯豊本山だと完全に思い違いをしてしまった。実は大日ヶ岳だと気がついたのは二日目、本山に着く10分前だった。

   切合小屋から見たご来光

夕食はカレーライスと魚肉ソーセージとチーズと麓で買ったトマト。小屋の夕食がカレーだったので、こっちの方が豪華。
食後ラジオを聞きながら眠りにつく。夜中、天空に天の川を見た。明日は天気に違いない!

       遠くに見える磐梯山

大日ヶ岳から飯豊本山まで

二日目は6:40に切合を出発。テント場も小屋も誰もいなかった。一番最後の出立。
今日はここから飯豊本山までのピストン。余裕のスケジュールだ。荷物も、昼食と水、雨具だけと昨日の1/3以下。

しばらくは登り。振り返ると、昨日歩いた山々。そのはるか向こうに磐梯山、吾妻連峰などが見える。
登りきったところが草履塚。ここからの眺めはなかなかだ。飯豊連峰のなだらかな稜線とその先の大日岳(飯豊本山と思っている)がよい。

  姥権現とその先に見える御秘所と飯豊本山

草履塚から下ったところが、姥権現。(「ちょっとウンチク」を参照)
その先が御秘所(「おひそ」と読む)。ここは飯豊登山最大の難所だったという。鎖場はあるが、正直、剣ヶ峰の方が長くはるかに危険に思える。

  御秘所

後で聞いたことだが、この岩塊の取り付き方を誤るとかなり危険になるようだ。安全に見える岩塊の左側を進むと危険なようだ。
今なら鎖場や正しいコースを知らせるペンキの印があり、間違いは少ないだろう。

  本山への道

御秘所を抜け一登りで、高原のようなフラットな尾根道につく。その先に飯豊神社と本山。
頂上でちょっと早い昼食を摂っていると、短パン、小型ザックの青年が登ってきた。川入から今日登ってきたようだ。iPhoneで写真を撮り、あっというまに下りていってしまった。登山口まで引き返すつもりだ。自分らは同じコースを二泊三日。このギャップは何なんだろう。

   もうすぐ山頂

スケジュールに余裕があるので、御西岳方面に少し足を延ばそうと思った。緩やかな稜線歩きが気持ち良さそうだ。
しかし、雲が上がってきている。万一、霧にまかれて道を外すと、稜線が緩やかなだけに方向がわからなくなり易い。地図を昨日失くしたので、少々やっかいだ。
安全を見て、予定通り、切合に戻ることにしたが、後で考えると、かなり悔いが残った。人の話を聞くと、飯豊本山から御西岳までが、飯豊連峰でもっとも美しい場所だったらしい。

  御秘所(復路)

本山からの復路は、雲が上がり、景色を楽しめなかったので、花を楽しむことになった。

  タカネマツムシソウ

イイデリンドウ、タテヤマウツボグサ、ミヤマウスユキソウ、チングルマなどなど。そうそう、タカネマツムシソウが一番目立っていた。
切合小屋に戻ったのは13:10。いくらなんでも、短すぎる山行きだった。

  切合小屋

三日目は6:25に切合を出て、帰路に着く。
今日はあまり天気が良くない。飯豊本山に薄く雲がかかっている。

  雲に霞む飯豊本山

三国岳からは剣ヶ峰の下りだ。登りは苦労したが、下りは思ったほど恐怖を感じなかった。登りは高度差があり、疲れも極に達していたので、怖かったのかもしれない。

  切り通し

剣ヶ峰の後はフラットな尾根道。横峰小屋跡から本格的な下りになる。
この下りの特徴だが上の写真のような切り通しを多用している。古い時代に開発された山道の証か?
川入キャンプ場に着いたのは13:15だった。

  一ノ木の蕎麦

最後に一つ。
川入の10kmほど南に一ノ木というところがある。そこには20軒ほどの集落に6軒の蕎麦屋があった。そのうちの一軒、一ノ戸弘法そばに入る。うまい蕎麦だった。こし、はごたえ抜群。
帰りに是非、寄って欲しい。
★★ちょっとウンチク★★ 「姥権現の話」
飯豊本山登山道のクライマックス、御秘所の手前に赤いべべを着せられた岩がある。姥権現である。姥権現には伝説があり、NHKの「日本の名峰「飯豊山」」では以下のような説明をしていた。
「飯豊詣でにでた息子の帰りが遅いのを心配した母親が、女人禁制を破り飯豊山に登ってしまった。しかし、飯豊山の神は怒り狂い、この母親は石にされた。」
ところが、一ノ木の蕎麦屋で以下の説明を聞いた。
「女人禁制の飯豊山に登った三姉妹は次々に石にされ、最後まで残った末の妹が石にされたのが、姥権現」
蕎麦屋のおやじに「NHKと違う」と言うと、いろいろな話がある。と言われた。
そこで他にないかと見つけたのが、以下
「小松のある女の人が、女人禁制の霊山とされていた<飯豊山>にどうしても一度は登ってみたいと思いたったのだそうです。「男が二十一日間の精進潔斎をして絶頂に入るなら、女の自分はその倍の日数をかけて精進したらよかろうと、四十二日間の苦行を済ませて登りました。 ところが、途中まで来て、心身ともに疲れたと言って一休みしたら、不思議なことにそのまま石と化してしまった」http://www.hrr.mlit.go.jp/iide/iide/story04.html
ここでいう小松は米沢の北、羽前小松のことだろう。
と言うわけで、この岩に関する伝説は、場所によりかなり違うようだ。一つだけ言える事は、女人禁制だったこの山が、誰も岩にされることもなくなり、今ではおばさんハイカーの方が多くの登るようになってしまったこと。
                            姥権現