1位〜3位  日本人の名字ランキング (4位〜6位)  7位〜10位

第4位
田中

 名字ランキングの第4位は「田中」です。この名字は、文字どおり「田」の「中」という意味で、地形由来の名字を代表するものです。
 江戸時代以前の日本経済は米が基本となっていました。平地はできる限り開墾し、山の斜面も細かく段差をつけて整地して、そこに稲を植えて米の収穫量を増やすことで、勢力の拡大をはかることができたのです。ですから、地形由来の名字には「田」のつくものが多く、それらを代表する名字が「田中」なのです。
 従って、田中さんのルーツは全国各地にあります。よく、田中さんから、「田中のルーツはどこですか?」と聞かれることがありますが、「わかりません」としか返事のしようがありません。家に系図が残っているとか、由緒が伝わっているとか、何か手がかりがないと、なんとも答えようがないのです。
 「田中」姓は、どちらかというと西日本に多いのですが、東日本でも決して少なくはありません。しかし、東北地方ではあまり多くありません。なぜでしょうか? 江戸時代には東北地方も穀倉地帯になっていましたが、平安時代や鎌倉時代には、東北地方ではあまり米はとれず、「田」が少なかったからです。「田」が無ければ「田中」姓はできませんから、東北では「田中」姓はそれほど多くないのです(もちろん少なくはないです)。
 各地にルーツのある「田中」ですが、その中一番有名なのが、滋賀県高島市の田中です。ここをルーツとする田中氏は橘氏の子孫といいます。戦国時代に田中吉政という武将が出て豊臣秀吉に仕え、関ヶ原合戦で石田三成を捕らえたことで、一躍筑後柳河藩32万石の藩主になりましたが、のちにお家騒動でとりつぶされてしまいました。
ルーツの一つ
滋賀県高島市
安曇川町田中

(google map)
第5位
渡辺

 第5位の「渡辺」は日本最大の地名姓です。そのルーツは大阪市にある「渡辺」という地名。大阪駅から南の方に少し行ったあたりです。かなり広い地域を指した地名でしたが、今では地名としては残っていません。堂島から中之島に渡る、渡辺橋という橋にその名残がある程度です。また、今では内陸部になっていますが、昔は大阪湾が大きく入り込んでいて、このあたりは湊でした。ここを本拠としたのが、嵯峨天皇の末裔にあたる、嵯峨源氏です。
 嵯峨源氏の源綱は、この地に住んで自ら渡辺綱と名乗り、一族をまとめて渡辺党という同族集団をつくりました。そして、清和源氏の源頼光に仕えて、頼光四天王の一人として活躍したのです。
 渡辺綱は、大江山の酒呑童子を退治したり、一条戻り橋で鬼の片腕を切り落としたり、と数々の逸話が残っている、当時のスターでした。そのため、渡辺党も有力武士団として広く認知されていたと思います。
 やがて、渡辺党は大阪の湊から各地に広がっていきました。その中で一番発展したのが、三河の渡辺一族です。徳川家康に従し、江戸時代には、本家は尾張藩の家老となります。また、分家には大名となった家も出ました。
 現在、「渡辺」姓は全国にまんべんなく分布していますが、どちらかというと東日本に多くなっています。特に北関東に多い名字です。
 なお、「渡部」と書く名字も、ルーツは同じです。
渡辺姓のルーツ
大阪市渡辺
(googole map)

「大阪橋ものがたり」より
渡辺橋
第6位
伊藤

 第6位の「伊藤」もルーツは藤原氏です。「伊藤」の「伊」は、伊勢の「伊」で、「伊藤」とは、「伊勢に住んだ(或いは領地のあった)藤原」という意味です。
 平安時代の後期に、尾藤基景という人物が伊勢守となり、伊勢に住んで「伊藤」と名乗ったのが、「伊藤」姓の始まりです。そのため、現在でも伊藤姓は三重県を中心に分布しています。特に三重県の北部では圧倒的に多くなっています。
 なお、「伊東」という名字は、静岡県の伊東をルーツとするもので、「伊藤」とは直接関係ありません。もともとは藤原氏なので伊藤と同じですが、藤原南家とよばれる流れで、伊藤とは違っています。

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