日本人の名字ランキング (1位〜3位) 4位〜6位

第1位
佐藤

 日本で一番多い名字は「佐藤」。かつては2位と言われていましたが、コンピュータ集計ができるようになってから、最多であることが確認されました。理由は、東北にものすごく多いから。手作業で集計していた頃は、全国津々浦々までは手が廻らず、東京を中心に都市部の集計で全国を類推していました。そのため、東北地方の農村部に集中している「佐藤」は少なく見積もられていたのです。
 通常、都道府県単位でみると、県で一番多い名字といっても、比率でいえば、西日本の府県で県全体の1〜1.5%、東日本で2〜3%くらいです。しかし、秋田県や山形県の「佐藤」率は、なんと7%にもなります。県庁所在地では、他県から移り住む人も多いことを考えると、これはたいへん高い割合になります。
 さて、「佐藤」のルーツは藤原氏です。平安時代、藤原姓の人はものすごくたくさんいました。それでは不便なため、区別用に地名や職業と「藤原」を組み合わせて、新しい名字をつくったのです。つまり、「佐藤」とは「佐」+「藤原」ということになります。
 では、「佐」とは何かというと、いくつかの種類があります。まず、「佐(すけ)」という位です。朝廷の役職には、上から順に「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」という四つの位(四等官)があり、役所によって色々な漢字をあてました。その一つが、「佐」という漢字です。つまり、「佐(すけ)」という位にあった藤原さん、という意味です。また、左衛門尉という役職の藤原さんも、「佐藤」を名乗っています。
 地名由来の「佐藤」もあります。有名なのが、栃木県佐野の藤原氏です。ここは百足退治で有名な藤原秀郷が住んだところです。この他にも、佐渡に住んだ藤原氏も「佐藤」と名乗っているなど、「佐藤」姓の「佐」にはいろいろなルーツがあります。
 これらの中では、藤原秀郷の末裔で、左衛門尉となった佐藤公清が、佐藤さんの本家とされています。この子孫は、代々朝廷に仕えていたのですが、平安時代の末期に佐藤義清(のりきよ)が23歳で突如家を捨てて出家したことで没落してしまいます。一応、佐藤本家は弟が継いだものの、子孫は歴史の闇の中に埋もれてしまいました。この佐藤本家を没落させた張本人は、漂白の歌人として有名な西行法師です。
 ということで、佐藤本家の末裔が今どうなっているかはわかりませんが、「ウチこそが佐藤本家の直系」といい、公清から現代までつながる系図を持っている家が何軒かあるそうです。
藤原秀郷が住んだ
佐野市の公式サイト

藤原秀郷を祭る
唐沢山神社の沿革
第2位
鈴木

 現在、「佐藤」に続いて第2位とされているのが「鈴木」です。かつては日本一多いといわれていましたが、現在では、佐藤とはやや水をあけられた第2位であることが確実です。これは別に鈴木さんに子どもが少なかったわけではなく、かつての集計が東京など大都市中心だったことによるものです。東京を中心に関東地方では「鈴木」が一番多かったため、全国でも1位と誤認されていました。
 鈴木さんのルーツは紀伊半島にあります。この地方では、刈り取ったあとの稲束を干したものを「すずき」といったのが、鈴木姓のルーツといわれています。「鈴木」という漢字はあとからあてたもので、決して木に鈴がぶらさがっていたわけではありません。
 紀伊半島の名字だった鈴木が全国に広がった理由は、昔の宗教に関係があります。世界遺産にもなっている熊野地方には、熊野信仰という山岳宗教があり、古代から中世にかけては広く信仰されていました。この信仰のよりどころになったのが熊野神社で、全国各地には3,000もの分社があったといいます。これらの各地の熊野信仰を支えたのが、鈴木一族だったのです。この鈴木一族の総本家が、和歌山県海南市の藤白神社の神官をつとめており、同神社には今でも鈴木総本家の家が残されています。ただし、あと取りがおらず、現在では無人となっています。
 鈴木一族は、布教先に住み着いて熊野神社を建立したため、鈴木一族は各地に広がりました。中でも一番栄えたのが、愛知県東部の三河地方の鈴木一族で、戦国時代にはこの地域を代表する有力武士団にまでなったのです。やがて、三河に松平家(のちの徳川家)が台頭するとその傘下に入り、徳川家康の家臣の中で一番多い名字は実は「鈴木」だったとみられています。
 家康が江戸に移ると、鈴木一族も江戸に移ります。そして、江戸時代になると彼らは旗本や御家人となり、どんどん分家を出して増えていきました。そのため、今でも関東地方では鈴木が一番多いのです。
 しかし、全国的にみると、やはり愛知県東部から静岡県西部あたりが最も「鈴木」率の高い地域となっています。
海南市による
藤白神社の紹介

熊野に関する総合サイト
みくまのネット

五来重著
「熊野詣」
第3位
高橋

 名字ランキング第3位は「高橋」。こちらもかつては第6位といわれていましたが、全国調査の結果、佐藤・鈴木に次ぐ3番めであることが判明しました。
 「高橋」という名字はたいへん古く、古代からあります。万葉歌人の高橋虫麻呂が有名ですし、文学史で「高橋氏文」という書名を見たことがあるかもしれません。この高橋氏は古代豪族で、天皇家の料理を担当した一族です。同僚の安曇氏と席次でもめた際、高橋氏の方が由緒正しく正統である、と書いて提出したのが「高橋氏文」なのです。いってみれば家系自慢ですね。系図上では、高橋氏は第8代孝元天皇の皇子、大彦命の子孫となっています。ルーツは奈良県天理市の高橋というところです。
 しかし、高橋姓は基本的には「橋」に由来する名字です。でも「橋なんて珍しくもなんともないだろう」と思いませんか? 実はそれは現代人の感覚なのです。江戸時代ですら、都市部を除いては、川は渡し舟で渡るものでした。江戸では隅田川にいくつかの橋がかかっていましたが、その大半は有料で、結構な通行料がかかったようです。つまり、橋とは、そんなに庶民的で一般的なものではなかったのです。名字ができたのは、江戸時代よりもずっと前ですから、さらに貴重で目立つ建造物だったことはあきらかです。
 では、「高橋」の「高」とはなんでしょう。現在の橋はコンクリートで造りますから、どんなに長くても横からみれば一直線です。しかし、昔の橋は木造ですから、大きな橋はアーチ状につくりました。そのため、中央部は高くなっています。つまり、「高橋」とは、「大橋」という意味なのです。読み方も、今では「たかはし」ですが、古くは「たかばし」と読んでいた可能性があるとみています。
 ただ、現在の高橋さんのルーツは、地名由来の方が多そうです。高い橋に由来する地名が各地にあり、そこに住んだ一族が「高橋」を名字としたという例がたくさんあります。古代における「高橋」は「姓」で「名字」ではありません。現在では「姓」を名乗っている家はあまりありませんから、現在の高橋さんは別姓で、地名由来の名字の「高橋」さんが主流だと思います。(難しくてゴメンナサイ)
水垣久氏による
高橋虫麻呂の解説。

4位〜6位

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